恐れていたことが起きた。
「生き物が死んでもテレビゲームのように
ムクムクと生き返る」と考えている子供たち
がいるのではないかと心配することがあった。

丁度「ミサイルや空爆によるピンポイント攻撃
で、民間の被害は極小」と唱える大人のように。
ボタンを押すだけで、傷つき死んで行く人々の
ことなどこれっぽっちも考えない。

この事件の子供たちは大人の鏡。
「自分達さえよければ、他人はどうなっても良い」
と考える大人達の。
「北朝鮮があるから、米国のイラク攻撃を支持する
ことは仕方がない。」と平然と言ってのける政治家
達の。

こんな悲しい出来事があって良いのか。
私たち大人は猛省しなければならない。
「命を大切にする」と言う生き物本来の姿を取り戻すために。

「ハクチョウ7羽死:男子中学生2人『ゲーム感覚で殴った』」
http://mainichi.jp/select/today/news/20080504k0000m040113000c.html

昨日の上映会&トーク・ライヴには大変勇気付けられました。
鎌仲ひとみ監督とウィンドファームの中村隆市さんの気さくで気負わないお人柄とお話にとても感銘を受けたのですが、作品の素晴らしさにも感動しました。

 「ヒバクシャ~世界の終わりに」を観るのは2回目でしたが、湾岸危機のおりのイラク人質経験者として経済封鎖による飢えを直接経験したり、イラクのバスラに何度も出張したりしたことのある私にとっては、全く他人事とは思えないシーンの連続でした。低線量の放射線被爆の恐ろしさ、被爆による何代にも亘る劣性遺伝の酷さと恐怖、湾岸戦争の10倍もの劣化ウラン弾が使われたと言うイラク攻撃の非人道性、本当に心が痛みます。
 広島・長崎で多くの人々が被爆死傷し、未だに医療補償も受けられずに苦しむ方々がたくさんおられる中、イラク・アフガニスタンだけでなく米国内や東欧でも放射能汚染による癌や遺伝性の障害が頻発し、日本の北海道や東北でもチェルノブイリの放射能障害と思われる病気で苦しむ人々の多くいる現実を知るにつけ、やはり私達は核・原子力の恐ろしさを認識しなければならないと考えました。私には放射能障害で苦しむ覚悟はないので、これらの使用に反対し続けます。また、内部被爆が子供や婦人により大きな影響を与えると言う事実は私には耐え難いことです。
 皆さんも下記の映画紹介をご覧下さい。
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/index.html
それから、「JIMーNET 日本イラク医療ネット」の放射能障害で苦しむ子供達への医薬品提供支援活動「バスラ支援」にも協力頂けると有難いです。
http://www.jim-net.net/contents.html

「六ヶ所村ラプソディー」を観るのは初めてでしたが、いろいろな教示に富んだ映画だと思いました。
 一方的な見方ではなく、核再処理施設反対派と容認派の人々の気持ちや考えをバランス良く描いている映画には、所謂社会派の気負いはありませんでした。また、そうであるが故に、現地の人々の苦悩が浮き彫りにされていました。
 巨大開発で六ヶ所村とその近郊の人々の農地や漁場を奪い、結局は産業誘致はされず、困窮した人々に危険極まりなく、使う宛てのないプルトニウムを作る使用済み核燃料再処理工場を押し付けるやり方は、沖縄への基地の押し付けと同じに思えます。そればかりか、将来的に製造したプルトニウムで核装備をして、核大国への仲間入りを考えている人々の意図も透けて見えるように感じました。
 イギリスのセラフィールド再処理工場では事故が起き、工場は閉鎖の追い込まれました。また、因果関係は証明されていないとは言いながら、その周辺では事故の前でさえ小児白血病の発生率が標準の10倍発生していると言う現実を考えれば、六ヶ所村の核再処理工場の危険は日本国民全体にとっても重大な問題であると考えます。
 六ヶ所村でコツコツと反対運動に関わる、地域の経済振興に励む「花とハーブの里」の菊川慶子さん、おいしい有機農法のお米お作りながら、再処理工場の影響でお客を失うことに苦悩する苫米地ヤス子さん、そして同じく有機農法で作った完熟トマトを幼稚園やその他の施設に配る荒木信義さんなど、その日常の生活や活動や一つ一つの言葉に涙が出るほど感動しました。
 自らだけでなく、子々孫々に惨たらしい放射線障害の危険を引き継ぐ覚悟のない私達は、原子力発電や使用済み核燃料の再処理工場の稼動に反対し、一方で電気を節約し、多少の不便を覚悟を決めることが大切だと考えます。
 この「六ヶ所村ラプソディー」の自主上映を行おうと考えていますので、その際はご協力下さい。

 また、「花とハーブの里」をご支援下さい。
http://www.infoaomori.ne.jp/~ushigoya/framepage1.htm

 鎌仲さんの映画やお話を聴いていると最近気負って空回りしているきらいのある私は反省することしきりでした。それから、完熟トマトの荒木さんが映画の中で「やっぱ、小さいうちにに本当の味を覚えさせておくとさ、大人になってから違うんだ。だから本当の味を知らない子供が大人になると駄目なのよ。困るのよ、子供が。」と言う言葉は、教育の本質そのものだと思いました。


山口実

 昨日は水巻町中央公民館で行われたオリタノボッタさんプロデュースのColors Concertに行って参りました。一昨日中学校のブラスバンドの先生に誘われて急遽参りましたので皆さんにはお知らせ出来ませんでしたが、素晴らしいコンサートでした。音色も、ジャンルに捉われない選曲も、プレーヤーのシャツの色も文字通りColorfulで最高でした。それで入場料1500円ですから。
 水巻町役場の立派な建物には苦笑してしまいましたが、どう言う経緯でこんな素晴らしいコンサートを誘致出来たのか、役場の担当者に聞いてみたい気がしました。本当に音楽って良いなあと実感させるコンサートでした。本当に最高!

 さて、コンサートのメンバーは

米米クラブのオリタノボッタ(織田裕司)さん
http://www.oritanobotta.com/
中学の定期演奏会でお知り合いになったのですが、温かいお人柄と素晴らしいSaxの演奏は絶対にお勧め。彼と中学校のブラスバンドの演奏の一部は動画に掲載しています。

光田健一(Piano,Vo)ピアノ・ヴォーカル)さん
http://www.kenichi-m.com/
マイミクにたくさんいらっしゃる藝大の皆さんの先輩にあたる方ですが、そのピアノの上手いことと言ったら、言葉では表現出来ません。歌もとても良くて、高音ですが柔らかい声でした。それにオリジナル曲も最高で、三拍子揃っています。

東京佼成ウインドオーケストラSax Trio
田中靖人さん ソプラノサックス。美しい音を初めて聞かせて頂きました。 
仲田守さん 演奏も素敵でしたが、ピンクのシャツが目立ていました。
栃尾克樹さん バリトンサックス最高

庵原良司(Alt Sax)さん僕アルトサックス大好きです。

スペシャルゲスト
MATAROさん(Per)
http://www.mataro.jp/
オリタさんがおっしゃっていましたが、日本一のパーカッション奏者、聴いていて嬉しくて心が躍りました。

matsueri(Vo)さん
若いので、素晴らしい他の演奏者に圧倒されていたようでした。でも、最近の若い人たちって、どうしてブレスをマイクに拾われて平気なのでしょう。それから、皆同じ歌い方に聞こえます。もっとたくさんのジャンルの音楽を聴くと耳が肥えるのでしょうね。もったいない!

曲目

1.I'll be there (ご存じJackson Fiveの歌)
2.Michel(The Beatles)
3.ブラジル風バッハ5番(エイトル・ヴィラ=ロボス作曲 クラッシック)
4.サバティアード(エンリケ・グラナドス作曲 クラッシック)
5.マイトレジャー(光田健一作曲)
6.優しい雨の中で(光田健一)
7.見知らぬ国で(光田健一)
8.My Life Style(matsueri作曲)
9.かけら(matsueri)
10. ドレミの歌(リチャード・ロジャース作曲)
  サウンド・オブ・ミュージックから、水巻南中学校の生徒と一緒に演奏。
11.スイングガールズジャズメドレー
  In The Mood(グレン・ミラー楽団の代表曲)
Moon Light Serenade(同上)
Take The A Train(デューク・エリントンのテーマ曲)
  
12.ラ・フィェスタ(チック・コリアの名曲)

encore
1.マンボ・インMambo Inn(MARIO BAUZA)
2.The Long And Winding Road(The Beatles)

と言うことで、2時間半余りがあっと言う間に経ちました。
観客の手拍子もバッチリで、皆でスウィングしていましたよ。こんなイベントはどんどんやって欲しいですね。橋なんか作るより、余程地域の皆さんが元気になること請け合いですよ。本当に!

山口実

忙しくしている間に年が明けてもう2週間が経ってしまいました。

今年も宜しくお願い申し上げます。

さて、私もメンバーであるアムネスティーインターナショナル日本からのメッセージをお届けします。

                                  記

1月11日にグアンタナモ収容所が6周年を迎え、アムネスティ日本支部のサイトも更新しました。今回はグアンタナモ6周年のオレンジ色のケーキの写真がアップされています。

また、被収容者が独房で綴った詩を、今回から適宜とりあげていきます。
最初の詩は、アルドサリ氏による「Death Poem」。ぜひ、ご覧ください。

http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=757

グアンタナモ閉鎖のため、ワン・クリック・アクションにもぜひご協力ください。

 一ノ瀬さんは年齢も2つ違いと近く、ベトナム・カンボジア(私も一時赴任の可能性がありました)とイスラエルの違いはあれ、同じような時期に海外を単独行したことなど、とても好きなカメラマンです。そして、今回は同じころボクシングをやっておられたことを知り、更に親しみを覚えました。
 私も一つ間違えば、命を失ってもおかしくないと言う経験を何度もしました。特に’70年のイスラエルでは、ゲリラのロケット砲の弾が目の前に飛んで来て、不発で助かったこともあります。
 一ノ瀬さんの写真を観たりや手紙を読んでいると大変感慨深いものがありました。また、束の間の幸せを楽しむ兵士や子供たちの笑顔を撮った彼の写真には深い愛を感じました。
 悲惨な戦争を目の当たりにし、平和や生きることの大切さを身をもって体験した戦場カメラマン一ノ瀬泰造さんが、26歳と言う若さで神に召されたことを考えれば、未だに生きながらえている私はもっと頑張らねばならないと叱咤激励される思いでした。
 泰造さんのお母様や関係者のご尽力に心から感謝します。
 この写真展は12月9日までやっています。8日9日には写真の販売もあるようです。お近くの方は是非お出かけ下さい。(福岡からは一般道で2時間半、高速で1時間20分位かかりましたが、今回は妻がが往復運転してくれたので、私はナビゲーターだけで楽勝でした。)
http://taizotakeo.net/  


山口実

P.S.今年の春に書かれた泰造さんへの寄せ書きの中に、"So beautiful & sad. I wept. Thank you."(とても美しく、そして悲しい。私は泣いてしまいした。有難う)と言うメッセージを見つけて、不覚にも泣いてしまいました。一枚目に添付した写真展のポスターの写真「届いた手紙」(私が一番気に入った写真の一つです。)の夫婦の笑顔はとても美しい。でも夫の兵士の肩には、小銃が置かれています。とても悲しいです。
 私はこれからも「武器よ、さらば!」と言い続けていきます。


一ノ瀬泰造写真展①


一ノ瀬泰造写真展②


一ノ瀬泰造写真展③


掲題の定期演奏会のご案内を致します。生徒さんたちの素晴らしい演奏は、バークリー音楽大学の竹中真教授や私の折り紙つきです。是非ご来場ください。 山口実

                   記


吹奏楽コンクール九州大会出場記念
西南学院中学校吹奏楽部第5回定期演奏会 Bravo Brass

第一部 シンフォニック・ステージ
   *音楽祭のプレリュード *憧れの街 *民衆を導く自由の女神
   *ロマネスク *クリスマスキャロル・ファンタジー
第二部 マーチ&ポップス・ステージ(ゲスト・ステージ)
   *ミュージカル「ウィキッド」他

日時:2007年12月22日(土) 開場14:30 開演15:00

場所:西南中学校・高等学校チャペル
   (早良区百道浜1丁目1番1号 TEL:092-841-1317)

入場無料

指揮:中村信一郎・三好直英

司会:中西久美

特別ゲスト:オリタ ノボッタ

主催/西南学院中学校吹奏楽部
共済/西南学院中学校吹奏楽部保護者会

 今日は友人の紹介で福岡ビジネス協議会の5周年記念講演会を聴きに、福岡国際会議場まで行ってまいりました。 

A)第一部の講演『スポーツから得られるコミュニケーションと健康』

 講師の谷川真理さんとは、ご縁があります。ご本人とはお話したことはなかった(今日は質問に立って、お話をすることが出来ました)のですが、1994年4月にドイツ・フランスに出張した時に、丁度パリマラソンが開催されていたので、シャゼリゼで一生懸命応援をして、谷川さんの優勝を自分のことのように喜んだことを今でもはっきりと覚えています。そして、その翌々日に帰国した東京の神保町の路上でマラソンの練習をされている谷川さんの素敵な姿に驚き感動しました。 

 今日は、当時と体型も美しさも変わらない谷川さんの講演を聴くことが出来てとても嬉しかったです。4列目から、一生懸命念力を飛ばしていましたら質問の時に、「熱い視線を感じていました。」とおっしゃってくれました。(笑) さて、谷川さんの講演はとても質の高い講演で、ユーモアにも溢れ時々講演する自分にも大変参考になりました。いくつか印象に残った、お話があったので紹介します。


1)2007年東京国際女子マラソン

 自分はけがで東京国際女子マラソンには出場できなかったが、野口さんの走りは素晴らしかった。特に苦しい39KM付近での走りが変わらなかったのには感動した。2年数カ月ぶりのマラソンにも拘わらず、素晴らしい走りが出来たのは、左足の度重なるけがからフォームを変えたこととトレーニングの賜物であろう。


2)ランナーとしてのキャリア

・中学時代中距離を走っていたが、水も飲ましてもらえず苦しくて中学校の途中で止めた。それを悔んで高校では絶対に3年間続けようと心に決めた。しかし、1000メートルや200メートルのインターバルをいやいや走っていた。当時、成田高校には増田明美さんがおり、高校新記録を出していた。

・高校を卒業して英語学校に通ったが、出席だけ取ってもらって、もっぱら社会勉強をしていた。金、土、日はサーフィンやスケボーやスキーをしていた。(ディスコ・クィーンでもあったようです。私と話が合うかも。)

・20歳で大手町のサンケイビルにあった会社のOLになり、3~4年経つと仕事にも慣れたころ、昼休みに近くの皇居の周り(一周5KM)をサーファールックで走り始めた。当時女性の数は少なく、目立つ存在で、一緒に走っていた男性に「良い走りをしている」と褒められたりして、走り続けた。そんな時、都民マラソンで一番になったら、ただでオーストラリアのマラソン大会に行けると聞いて、一所懸命練習してかった。それからは目標が出来て、静岡などの市民マラソン大会に出て勝ち、ボストンやサンフランシスコのマラソン大会にただでビジネスクラスに乗って参加することが出来た。市民マラソンの多くが1500円~2000円の出場料を取ったが、それ以上の賞品を獲得出来て、それが励みになった。


3)地雷廃絶活動との関わり

・地雷は一個300~500円、取り除くのに5万円掛る。地雷問題とは1997年から関わりを持ち、1998年には、対人地雷除去作業で片足を失ったランナー、クリス・ムーン氏と一緒に箱根から東京まで一緒に走り、痛いとか、辛いとか、苦しいとか弱音を吐かないムーン氏の頑張りに感動した。ムーン氏は米国のデスバレーでは200KMの距離を走破し、帰りも走って帰った。彼は、障害のある人でも、健常者以上のことが出来ることを言葉ではなく行動で示している。

・パキスタンやアフガニスタンにも行ったが、家のそばに埋められた地雷の被害で手足をなくした女の子や釣りに行って両腕をなくした男の子と会った。「何と声をかけたら良いのか」と迷ったり、土産のキャンディーをあげた時、「次にはいつ食べられるのだろう」と援助の仕方も考えさせられたりした。


4)マラソンを通して思うこと

・1996年のアトランタオリンピックの選考レースの時は一番つらかった。膝を痛め、体調不良のまま臨んだ名古屋国際マラソンでは結局2時間35分で、選考に漏れた。しかし、自分はプロランナーとして谷川真理として走り続けることに意義がある。

・マラソンでは他を意識するとストレスがたまり、ストレスも感じる。自分をライバルと考え、自分自身と闘うことが大切である。

・マラソンを通じて、季節の移り変わりや自然のエネルギーを感じている。体力があれば、人生が充実できるし、食べ物もおいしい。吸ったり吐いたり呼吸をすることで体の中から元気になれる。


5)走り方のアドバイス・水分の補給は大切で起床時と就寝時にコップ一杯の水を飲むことを勧める。

・体重移動をスムーズに行うには、みぞおちから足が出ているイメージで、骨盤を意識しながら歩き走る方が良い。

・シューズは大事で、サイズは夕方少しむくんだ状態で指一本くらい余裕があるのが良い。走る時は体重の3倍の負荷がかかるので、靴のかかとは厚い方が良い。(質問時、つま先に弾力性のあるシューズが良いとのお話もありました。)

・無理をせずテキストどおりにジョッギングすると長続きする。

・疲労から早く回復するには、走った後牛乳を200~300CC飲むのも効果的。走る練習をしたり、マラソンを走ったりする時、一番苦しいのはたった10分。その10分を耐えることが大切。

忍耐は苦しいけれどもその実は甘い。


尚、谷川さんの現在の活動の詳細については、彼女のホームページをご参照下さい。 http://www.tanigawamari.co.jp/


B)第2部 『骨髄バンク。今新たな一歩』

 講師は全国骨髄バンク推進連絡協議会会長の大谷貴子さんでした。 大谷さんのお話は、ご自身の余命数ヶ月と言われた白血病克服の実体験を語られたので、大変感動的でした。

1)白血病の克服

・父が医者だったが、白血病を不治の病として考え、彼の書棚の古い本もそう書いていたので、父も自身も、どのようにして死んで行くかを考えていた。

・しかし、米国にいる姉は違っていて、骨髄移植の情報をもたらしてくれた。・日本では患者が医者に質問すると怒られることが多く、医者の父も主治医に対する質問を押さえつけたが、入院した京大病院の主治医は「普通はがんの場合告知はしないが、あなたは既に告知されているので、お互いに勉強しながら治療して行きましょう。」と言ってくれた。

・白血球の血液型は赤血球(4つ)と違い、25億通りありと言われており、それを聞いて非常に落胆したが、東洋人に限れば1万分の1と確率があがることが分かった。

・当時米国には既に骨髄バンクがあったが、日本にはなかった。個人的に友人に頼むことも難しかった。

・白血病の治療の一番の問題は、適合する骨髄液の提供を受けられるかどうかだが、姉は「骨髄バンクが日本にないなら自分で作ったら良い」と言った。余命幾ばくもない自分が逡巡していると姉は「あなたが間に合わなくても後の人が助かる。」と言った。それを聞いて、姉からも見捨てられたと感じた。

・しかし、姉はもっと前向きであり、一緒に署名活動を始めたところ、文化人類学者から自分のルーツを辿ることで適合者発見の確立をあげられるとの情報を得た。・幸い父母方の祖父母とも同じ地域から出ていた。そこで、「父母の場合は適合することは皆無だから、検査は無駄だ」嫌がる父親、それから母親の骨髄液検査を行うと母の骨髄液が適合した。

・骨髄移植をする際も、自分は全身の94.5%の細胞ががんに侵され、余命1か月まで弱っており、6人の医者の内、5人が「移植で苦しめず、静かに死なせる」よう移植に反対したが、1人の医者は「移植による治癒の可能性は1%」と言った。これを聞いた姉は「1%も可能性があるなら」と移植をするよう医師団に迫った。・それで、移植が行われ運よく完治して現在に至っている。

(ご家族の愛と努力とご自身の頑張りの生んだ奇跡ですね。)

・1991年に始めた骨髄バンクも16年になり、登録者が目標の30万人を超えており、今までに約9000人が適合骨髄を提供した。日本では年間6000人が白血病を発症しており、更に多くの登録者が望まれる。・尚、骨髄バンク登録には年齢制限があり、18~54歳となっている。(講演が終わって、骨髄バンクの人々に年齢制限の理由を聞きましたら、「体力の問題から」と言うお話だったので、「自己責任で登録させて下さい」と頼んだのですが、残念ながら受付られませんでした。)


2)骨髄提供体験者のインタビューお二人の方が、壇上に上がられ大谷さんからの体験インタビューを受けられました。

・提供には家族の賛成がいるが、お二人とも奥さまは賛成したが、母親が当初反対したとのことでした。

・提供時の全身麻酔(まれに局部麻酔)に対する恐怖はなかった。

・痛みはさほどではなく、微熱が出て体がだるくなったが、約1週間で治った。

・最終同意・健康診断・貯血・入院などのプロセスで合計約10日のお休みが必要となるが、これは有給休暇の消化で対応した。


3)意識の高い18歳から54歳までの皆さんの骨髄バンク登録をお願い致します。


-以上-

一昨日の「シンポジウム 文化芸術による『福岡の街、未来を』考える」(主催福岡市)での平田オリザさんの基調講演に就いて、私が理解した主旨をご報告します。平田さんは大学の後輩でもありますので、今後大学での講演も計画しようと考えています。 山口実


                     記

                      

平田オリザさんは、多面的な考えの出来る素晴らしいアーティストです。彼は、ICU在学中から劇団「青年団」を結成し、自ら支配人も努めました。数々の賞を授与された劇作家であると同時に、演劇を通して多角的な教育活動を展開しておられ、昨年はモンブラン国際文化賞も受賞されています。本年から大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授もされて、お医者さんの卵たちに必修科目として演劇を通したコミュニケーション術を教えておられるそうです。


平田さんのお話は多岐に亘ったものでしたので、僕なりに理解した要旨を以下に記します。

文化や芸術は街づくりに欠かせないもの。

この20年街は利便性や効率を追求したために画一化してしまい、重層性を失った。

‘80年代の米国のように、郊外型のショッピングモールが溢れる一方、商店街がさびれ空き店舗が増えた。かつて商店街には子供たちの教育係やお守り役を務めるお年寄りがおり、また床屋と銭湯のようなコミュニケーションのスペースがあった。そして自分が生まれ育った駒場はそのような街であった。

しかし、渋谷のように無理やり広げた街には、公園や噴水のようなスペースもなくチーマーがたむろし、危険きわまりない状況になっている。これは弱者のためのスペースを作って来なかった行政の無策によるものである。

学校にしか逃げ場の見いだせない子供たちの一部はいじめに走る。

街づくりに必要なのは劇場やコンサートホールのような出会いを生む新しい広場であり、文化や芸術が楽しめる非日常の空間である。

緩やかなネット社会

強固な地域の再構築が難しい現代、大切なのは誰かが誰かを知っている社会、弱者に優しい街を作ることである。これはまたダムや堤防を作るより遙かに安上がりな保安対策となる。その為には、住民の意見を取り入れた文化施設を街の中央に造るべきである。

郊外型の劇場など、これから高齢化が進めば人が行かなくなる。

例えば、ヨーロッパではホームレス・プロジェクトと言って、街の中央にある劇場の余った座席にホームレスの人々を招待し、社会復帰の力としている。

フランスナント市の復興

例えば、フランスのナント市は造船業の競争力低下などで衰退していたが、若い市長が就任してから文化と芸術で街を再生した。現在は、フランス国民が引退後に住みたい街人気No.1となっており、またアーティストが住みやすい街となっている。ビスケット(カンパンのような)工場の跡地にアーティストセンターを造り、ベートーベン音楽祭(ナント音楽祭)など様々なイベントを行うことで街が活況を呈している。またそのことで、街のブランド力が上がり、低迷していた造船業も高級クルーザー建造で復活している。

天満天神繁盛亭(http://www.hanjotei.jp/  ご参照)

また、大阪の天神町筋も街の人々の力で繁盛亭を昨年9月にオープンした。200人のスペースで朝昼晩の3公演、年間十数万人の動員力しかないが、賑わう商店街の店主の意識が変わってきた。経済的には大型店舗には勝てないが、付加価値の高い街づくりを皆が考えるようになった。

⑤ 経済構造の変換 工業立国からサービス立国へ

ものづくりの産業戦士から、サービスや付加価値を高める人材が必要とされている。

そのためのコミュニケーション能力や勇気を育むためには子供のうちに、芸術・文化に触れ、外国人とも付き合って想像力や感性を高めることが必要である。

このことについて文化や芸術に触れられない子供の地域間格差も出てきている。

   例えば、筑波大学駒場高校の学生は、文化や芸術に触れながら大学に入るが、そう言った環境に恵まれない地方の学生は、大学に入学してから話の違いにカルチャーショックを受けて、不登校にさえなっている。

アイディアが人を呼ぶ

富良野は、日本では「北の国から」というテレビドラマで有名になったが、今は韓国・台湾・シンガポールなどの外国人観光客が半分を占めている。彼らはラベンダー畑や本国にない景色やおいしい食事を求めてくる。富良野の人々はアイディア出し合って、香水やワインを作ったり、牛乳搾りやケーキ作りなどの体験イベントを行ったり、屋外アートギャラリーを開いたりしている。また、富良野の六郷では、大人達がどうやって付加価値を付けて売るかを自覚し、アイディアを出し合っている。

 一方、夕張や芦別は酷い。特に、芦別は広告代理店などに乗せられて90年代に地方債を発行し、五重塔や観音像やテーマパーク(カナディアンパーク)を建設してその負債に苦しんでいる。

 地域が判断力をつけ、地域の人々がソフトを選択する力を付けることが大切である。従い、地域住民一人一人の意識がどれだけ高いかが地域の発展を決する。

文化芸術による福岡の街づくり

アジアの人々に質の高いサービスを如何に提供するかが課題である。新幹線等の発達で

観光客が福岡に滞在しなくなる可能性がある。その為には、ナイトカルチャーを発展させることが重要であろう。例えば、ウィーンのオペラ劇場ウィーン国立歌劇場ではオペラ好きの観光客のために毎回違う演目を公演している。2000人が収容出来るから、一人が宿泊費や食事代などを含めると15万円を費やすとすると毎日1億円が落ちることになる。

街づくりには高度な文化芸術を催す施設とその中身を創出することが重要であり、そのためには何十年と言う努力に蓄積が不可欠である。

その後平田さんの基調講演に基づいたパネルディスカッションがありましたが、長くなるので省略いたします。三輪嘉六九州国立博物館長の博物館の運営に関するアイディアや苦労話はとても参考になりました。吉田市長は、文化芸術に関しては、「『まん中を幅広く』と言う支援をして来たので、メリハリのつけ方が未だ分からない。」と言っておられました。

質を高い文化・芸術イベントを開催できるよう福岡市民としてサポートしたいと考えています。


―以上ー

今日届いたアムネスティ・インターナショナル日本からのメッセージから、「今週のフォーカス~全ての子供の権利が守られる世界を目指して」を下記の通り紹介します。

                       記

□■□ 今週のフォーカス ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

……………………………………………………………………………………………
全ての子どもの権利が守られる世界を目指して
……………………………………………………………………………………………

11月20日は「世界こどもの日」。
1989年に国連総会で『子どもの権利条約』が決議されて今年で18年目です。
だれでも子どもは例外なく迫害や搾取をまぬがれ、護られる権利を持っており、国や社会には子どもたちを無条件に庇護しなければならない義務があると国際社会は合意するに至りました。

アムネスティ子どもネットは子どもの人権啓発やさまざまな取り組みを担っていますが、まだまだ子どもの人権についてわが国でも知れ渡っているとはいえません。
『子どもの権利条約』も名前だけは聞いたことがあるけれど内容までは‥‥という声は多く、それどころか教育やしつけに名をかりた、子どもの規制や虐待さえ後を絶たないのが現実です。
社会の激しい格差と競争にさらされ選別される子どもたち、自由な思いをわがままと混同され、規則や因習に束縛される子どもたちの小さな胸は、すさんでいくしかありません。

今年のアムネスティニュースレター7月号《みんなで読もう「子どもの権利条約」》(Vol.389)でも取り上げられているように、子どもはだれであれ、できうるかぎり健全な環境のなかで心と体の健やかな成長をとげる権利をもっています。

『子どもの権利条約』の画期的な点は、児童をただ単に「保護の対象」としてだけでなく「権利の主体」と認めていることです。子どもの意見表明権(12条)ひとつとってもこんなに志の高い国際条約がこれまであったでしょうか。それは子どもの言葉や態度だけでなく、怒り、身体的症状や非行等のすべてを含む欲求の表明を子どもの固有の権利として認め、かつ又、親や教師など身近な大人がこれに誠実に応答することを社会の義務として、「子どもが自らの力で欲求を受容的に受け入れてもらう人間関係」の形成を掲げているのです。

この、子どものための世界人権宣言ともいうべき『子どもの権利条約』の実現に一歩でも近づいていくことで、どれほどわたしたちは世界に希望を見出すことが出来るでしょう。

世界には2億数千万の児童労働があり、子ども兵士・人身売買の子どもたちがいます。児童労働のワークショップで子どもたちの小さな胸を洞察するとき、こまかな表情ひとつにもかけがえのないものが見えてきます。

子どもネットと一緒に子どもの人権を考え、なにかを始めてみませんか。

≪子どもネット連絡先≫
■電 話  東京事務所 03-3518-6777
■Eメール snakecancer715@yahoo.co.jp

博多のプロミュージシャン達が贈る博多ジャズコンサート。ヴォーカルはボビー江頭とうしじまあおいです。うしじまあおいのJazzはもちろん、エガちゃんの60’sのポップスヴォーカルもTalk最高。
ミュージシャンは人気者揃いですので、お早めに博多ジャズコンサート事務局にご予約下さい。


山口実             

                             記


日時:平成19年12月16日(日曜日)
   18時開場 18:30開演

場所:NTT夢天神ホール
   福岡市中央区天神2-5-35(岩田屋本館7F)
   TEL:(092)-781-8888 (10:00~18:00)
   http://www.nttud.co.jp/amenity/yume/ #
入場料:前売り券:\3,000
      当日券:\3,500
        学割:\2,000

出演者:
Tp/山野哲正、松本典之・Ts/新田治生・Tb/永石郁雄・Gt/赤崎進・Pf/川添英子・Bs/土井信雄・Dr/木下恒治・Vo/うしじまあおい・ボビー江頭・コンサートマスター&As/親川徹夫
ミュージック・ディレクター/永石郁雄


お問い合わせ先:博多ジャズコンサート事務局
(株式会社 翼 企画内)福岡市南区老司1丁目17-13
電話092-566-0559 FAX092-566-0580